ワインと食、そして旅 -WINE, DINE & TRAVEL PILOT

ワインエバンジェリストによるワインと食と旅のブログ

Enfance finie と酒飲み

 大酒飲みというのはいるもんで、酔い潰れそうになっても、『酔ってませんよ。全然酔ってない。』などとのたまいながら、いつまでも飲んでいる。また、平然として長々と飲んでいる人もいます。たくさん酒を飲みたいのは同じなんですよ。ワインをガブ飲みする人はさすがにあまり存じ上げませんね。

 大酒飲みの人の場合、いつ頃から、大酒飲み化してくるんでしょうか。まさか高校生の時分には大酒飲みだったという人は少ないと思います。

 日本の場合、法律で飲酒は二十歳からです。酒を飲む行為というのは、なんか大人への階段を一段上がったような気にさせます。幼年期と青年期の境目にあるような感じがします。

 

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 幼年期と青年期の境目、思い出すのは、Enfance Finieというの詩です。

 

Enfance Finie

 海の遠くに島が……、雨に椿の花が堕ちた。鳥籠に春が、春が鳥のゐない鳥籠に。

約束はみんな壊れたね。

海には雲が、ね、雲には地球が、映つてゐるね。

空には階段があるね。

 今日記憶の旗が落ちて、大きな川のやうに、私は人と訣わかれよう。床ゆかに私の足跡が、足跡に微かな塵が……、ああ哀れな私よ。

僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。

 

 アンファンスフィニ。幼年期の終わりと言う意味なんですが、何らかの形で自分の子供的な状況と訣別したい考えがあるらしく、象徴的な行動を取ることで、自らを納得させる場合もあります。パパママからお父さん、お母さんと呼び方を変えたりします。『もう子供じゃないんだからね。』的な話です。

 大人になったような気になる行動の一つに酒を飲むがあります。酒を飲み始めた頃のことを覚えていますか? 私は、二十歳の誕生祝いに家族が買ってきた赤ワインを飲み過ぎて、気持ちが悪くなったことを思い出しました。なんか酒を飲むという行為は、「俺はもう大人なんだぞ。」と、それこそ幼年期との別れを表しているように思ったものです。

 少し酒が飲めるようになると、ウンチクを語ったりするようになる。「俺って、けっこう酒を知ってるんだぜ。」的なモードで話すようになるわけですが、たいがいどこかで恥を描く羽目になりますね。何でもそうなんですが、人間、この『少しできるようになった状態』というのが、まずいっちゃあマズイわけで、理由や裏付けもなく、単に自分ができる気になってしまいます。

 何でだろう? やっぱり良い格好したいのかな。少しなのに、オールマイティ感を感じてしまい、結局、力不足で失敗したり、理由もなく上から目線で喋ってしまうので、嫌われたりもします。『あいつと飲むと面倒くさいから。』なんて言われたりもします。

 ワインについて、その傾向は大変に顕著で、小うるさいのを何人か知っています。あまり良くない性癖です。人間、物事に精通すると、知識の出し惜しみもしなくなりますし、ましてやひけらかしたりはしないものです、と自戒を込めて。