井伊大老と都々逸
今回は、日本の古くからの言葉のテンポの話をします。これはほぼ3種類になります。
57577の短歌形式
575の俳句
この2つは馴染みがあると思います。もう1つ、
7775の都々逸
都々逸は江戸時代に流行った俚謡です。
短歌は好きで自分でもたまに作りますが、今回は都々逸の話です。短歌や俳句とは異なり、うたわれた内容がかなり俗っぽかったせいか、ほぼ廃れました。色々と面白い都々逸が残っていまして、桜田門外ノ変で暗殺された井伊直弼さんが創ったものも残っています。
「逢うて別れて 別れて逢うて(泣くも笑うもあとやさき) 末は野の風 秋の風 一期一会の 別れかな」
(井伊直弼 茶湯一会集)
井伊直弼さんというと、近江彦根藩主かつ江戸幕府の大老で、安政の大獄を指揮し、桜田門外で暗殺されてしまった方です(桜田門外ノ変)。大名で幕府の大老ですから、かなりおかたいイメージがあるんですが、こんな都々逸を創っています。以外じゃないですか。
井伊直弼さんは、雅号を『埋木舎(うもれぎのや)』と名乗っていました。これは、花の咲くことの無い埋もれ木の例えでした。直弼さんは、なんと先代藩主の14男だったんです。ふつうは、藩主になるのは無理ですよねぇ。ご本人も無理だと思っていたんでしょうね。だから『埋木舎』。
文化度は素晴らしく高い方で、茶道や和歌、鼓なんかも良くしたらしいです。国学に秀で、剣の腕もたったようです。
若い頃は、女性に入れ上げているし。なかなか面白い人物だと私は思います。個人的に好きな方です。
「藩主は無理だよなぁ」と思っていた井伊直弼さんは、なんと思いもかけず藩主になってしまいました。
藩主としても、藩政改革にも意欲的で、領内巡検も頻繁に行なっています。人材登用にも熱心だったようです。
都々逸に戻ると、『一期一会の 別れかな』は、優れた茶人だった井伊直弼さんですので、茶道の一期一会と読む向きもあるんですが、私個人的には、惚れた女性との一期一会ともよめると思っています。まあ、どちらでもとれますね。
『井伊直弼像』狩野永岳筆 彦根城博物館蔵
井伊直弼さん、中々魅力的な方だと思いますし、彼の創った都々逸が僕は好きで、たまに口ずさみます。桜田門外ノ変、実に惜しい方を亡くしたと思っています。