食器とお盆
いつのまにか仕舞い込んだ洋食器が、たまたま戸棚の整理をしていたら、『久しぶりだね。元気にしていた?』と現れて、何年か、へたをすると何十年かぶりに、それらを夕食に登場させた時に訪れる幸せ。
そんな時、頭をよぎるのは、「なんで仕舞い込んでしまったのだろう」という自分に対しての疑問。
理由はそれなりにあったはずですが、捨てることはせずに仕舞い込んだのには、何か特別な理由があったのだろうか。
例えば、六脚あったティーセットのうちの一脚が欠けた。当時、お付き合いをしていた人と一緒に使っていたマグカップ、別れたからといって、物には責任はないと思いつつも使い続ける気持ちにはなれなくて仕舞い込んでそのままになってしまった。その他、単純に使いづらい、洗うのが面倒、などなど。
遠い昔の記憶とともに仕舞い込んだ食器。
『あーっ、こんな所にあったんだ❣️』記憶の外に出ていたモノとの再会。そのモノにまつわる思い出。
ご主人が欠けさせた、ヘレンドのティーカップが形見になってしまった女性がいらっしゃいます。今は、老婦人になられたこの女性の思い出は、欠けたカップを手にはにかむように笑ったご主人の顔だそうです。
ご主人はこう言ったそうです。
『ごめん。でも欠けたの少しだけだからさ。僕は使うよ。だって結婚して、高かったけど、2人が気に入って買ったティーカップだよ。捨てたくないんだ。』
当時は、まだ若くてお金もそうなかった彼に、買い直しの選択は無かったようです。
その数ヶ月後でした。カップを持ってはにかむように笑ったご主人は、事故で帰らぬ人になりました。
奥様は、ご主人との思い出とともに、このヘレンドのティーカップを大事にしまわれて、亡くなられた当初は、たまに出して眺めたそうですが、一年が経ち、三年が経ち、だんだんに出す回数が減っていったそうです。今はもう一年に一回ぐらいの登場だそうです。
『納戸の整理や掃除をしていると、しまってある箱が目につくので、二脚だして、紅茶を淹れるんですね。なるべくお盆には出したいんですけどね。もう50年近く経ちますが、思い出の中の2人は若くてね。だいぶ遠くまで来てしまいました。』
夏休みに、納戸の中や、押し入れを整理してみてはいかがでしょう。過去に置いてきてしまった何かが見つかるかもしれません。