冬隣り
『冬隣り』という言葉があります。隣りはもう冬、つまりもうすぐ冬が来る季節に自分はいるんだなぁ。寒い冬に備えなきゃ、というような意味合いで使います。割と便利な言葉ですね。冬はまだ来ていないわけで、晩秋の感じ。俳句の季語にもなっていて秋というか晩秋の季語です。立冬のちょっと前。
個人的には、そこの角を曲がったら冬な感じです。
発音は、「ふゆとなり」、「ふゆどなり」。
和歌・短歌の世界で、秋は、もの思う季節のようです。私はもの思ってんだよ、的な歌が多い。また、『三夕』(さんせき)と称される「秋の夕暮」で終わる歌があるように、夕暮れとも相性が良さそうです。秋の夕暮れは寂しいですね。
西行の歌に、
心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮
がありますが、意味は、
出家して、あまり趣がわからない自分にも、秋の夕暮れの寂しさは感じられます
西行の観ている自然と心がわかります。
もう一つ、藤原定家の
見わたせば 花ももみぢも なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮
これも寂しい。
最後に、私の好きな歌
秋風に たなびく雲の 絶え間より もれいづる月の 影のさやけさ
藤原(左京大夫)顕輔の作なんで、古今和歌集。小倉百人一首にも選ばれているので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。私個人は、晩秋の静かな夜が実感できる歌です。『さやけさ』が何とも言えない詩情をくすぐります。
出典
https://www.100nin-isshu.com/79-akika/