ワインと食、そして旅 -WINE, DINE & TRAVEL PILOT

ワインエバンジェリストによるワインと食と旅のブログ

ボーイング747の頃

 就職をして社会人というものになって、毎日満員電車にすし詰めにされて、「会社行くの、嫌かも」と思い始めて、ついでに会社そのものにも嫌気が差してきたちょうどその頃、ドイツのハノーファーに出張を命じられた。ハノーファーメッセという見本市に出展をするので下働きをせい、ということだった。大学生の頃、教授の手伝いでパリへ行ったことがあるが、その時はかなり安い航空券のパキスタン航空でカラチ経由。成田からカラチまではボーイング727で、カラチからパリがDC-10だった。飛行機好きの私としては良かったのだが、おそろしく時間がかかった。約33時間ぐらいかかったと思う。それが今回は、ルフトハンザの北回り、機体はボーイング747だった。たいした出世だ❗️

f:id:nwawinescom:20191118002106j:image出典:Wikipedia

 その頃、つまり1980年代は、日本ーヨーロッパの各都市間の路線は、北回りと南回りの2路線がありました。北回りはアラスカのアンカレッジ経由。北極を超えてヨーロッパに出るんですね。南回りは、航空会社によって経由地は異なり、香港やデリーなどを経由しました。押し並べて南回りの方が航空券代は安かったようです。日本航空やルフトハンザ、エールフランスなどの一流航空会社はだいたい北回りでした。一部ルフトハンザに南回りがありましたが(現実に私は乗りました)。

 パリに行く途中にアンカレッジでトランジットをした時、ロンドンから帰国する同僚とたまたまトイレで隣同士になったこともありました。トランジット時間が伸びたのでアンカレッジ市内に出て、確か熊五郎というラーメン屋でラーメン食ってきたとか、嘘のような話もありました😊

 今から考えると隔世の感があるのですが、日本からダイレクトでヨーロッパの各都市には飛べなかったんですね。燃料がもたないので給油が必要でした。ダイレクトフライトは、政治的な理由で、シベリア上空を飛べるようになるまで待たなくてはなりませんでした。そういえば、シベリア上空を飛ぶようになった初期の頃、シベリア上空では窓のシャッターを下ろしておけと言われた記憶があります。全日空が国際線に就航し始めたのもこの頃だと思います。就航した翌週に確か成田ーパリ間に乗って、まだおぼつかないサービスを笑いながら受けた記憶があります。

 ボーイング747が世界の空を飛んでいた時代は、日本はまだ右肩上がりの経済で、生活は今より緩やかだったと思います。バブルの前になるので、穏やかな時代だったと記憶しています。だから今より良い時代だったと言うつもりはありません(笑)。ビジネスの世界では、海外出張で飛行機に乗っている時が、電話や取引先に追われないので一番平和だ、なんて言っていた時代ですからね。今は、空港はもちろん機内でもWifi使えるし。どこまでも追い回されます😊 どこまでも追い回されますが、色々便利ですからね。スマホあるし、オンデマンドで色々な映画やドラマも見られるしね。グーグルマップで迷わなくなったし。スケジュール管理はアレクサがしてくれるし。精神を取り巻く状況は、昔も今もあまり変わらないと思いますしね。

 ただ、飛行機はボーイング747の方が今の777、787やエアバス350より好きです。やっぱり大は小を兼ねると思います。スピードも速いし!