ワインと食、そして旅 -WINE, DINE & TRAVEL PILOT

ワインエバンジェリストによるワインと食と旅のブログ

ワインにはまった30年の1

    50歳になると本当に好きなモノやコトに戻って来るなんてぇことを言います。私の場合、やっぱりその通りになって、50歳になって、「やっぱりワインが一番だね」なんてことを言いながらワインに戻って来ました。決して酒好きってわけではないんですよ。そこんとこはしっかりと言っておきたいと(笑)

    一度ワインとの付き合いを通して自分の酒とか食とかの遍歴を簡単にまとめておきたいなぁと思って書いております。

    ワインを初めて飲んだ時のことははっきりと覚えています。22歳で初めて行ったパリのレストランで出されたグラスワインでね、世の中にこんな美味い酒があるのかと思いました。もう頭ん中バラだか蝶々が飛んでいる状態。その時分の学生なんて、ビールか焼酎、良くてサントリーホワイトの水割りですから。いえいえサントリーホワイトが安酒だなんて申し上げているわけではないんですよ。サントリーホワイトは学生でも買えて、しかもそこそこ飲めてね、いい酒でした。まだ売っているらしくて、ナント今年で発売開始90周年だって言うじゃないですか。スゴイですね。同じサントリーでも丸だ角だは高嶺の花でした。ましてやワイン、おっかなくて頼めませんでしたし、どんなシーンで飲んでいいかもわかりませんでしたしね。フランス料理店や西洋料理店なんかには行けない、絶対に行けない。だって金がいくらかかるかわからなかったですから。だからせいぜいイタトマかジローでピザ食ってるのが関の山。もちろんトリュフがどうだとかフォワグラが美味いなとか言っていた金持ちの友人もいましたが、フツーの学生は良くてピザかスパゲティ。(注意 パスタなんて言葉は当時はあまり使われておらず、長いのはスパゲティで短いのがマカロニ)

   1980年代に、成田空港からヨーロッパに行こうとすると、今のように直行便は無くて、アラスカのアンカレッジ経由の北回りか、香港やらデリーなんかをつたっていく南回りでした。最初にパリに行った時は、パキスタン航空。私が、理不尽なくらい航空券が安かったという理由だけで乗ったパキスタン航空は南回りで、パキスタンのカラチで乗り換えもあり、結局成田を出てから30時間以上かかってパリのオルリー空港に着きました。既にシャルル・ド・ゴール空港はあったんですよ。なのにオルリー空港。なんともローカル感のある空港でした。初めての海外でしたので、疲れもなく結構興奮していました。なんつっても若かった。

    多分バスで空港からオペラ座に着いたと思うんですよ。そこから歩いてホテルの部屋に落ち着いたらもう夕方でした。当時は右も左もわからない状態で、とりあえず腹減って何か食わなきゃ死んじゃうと思って、ホテルがオペラ座近くにあったんで、ふらふら出て見つけたのが、Cafe de la Paixでした。結構客が入っていたのでかえって安心で入りました。今でもオペラ座のとこにある観光客で一杯になっているレストランです。もうさすがに入んないですけどね。

    人生初のワインは、赤ワインでした。銘柄や葡萄の種類は覚えていないです。美味かったですねぇ。美味かったということははっきりと覚えています。その翌日、生牡蠣を食べた時は、「生牡蠣には良く冷えたシャブリだぜ」とフランス人の友達数人が言うので、シャブリを飲みました。これも美味かった。香りとか味とかは覚えていないんですよ。でも美味かったという事は覚えている。人間の記憶って不思議ですね。

    この時は、パリに2週間ぐらい滞在して、バイトして稼いで持って行った所持金のほとんどを食い物とワインに費やしました。まあ卑しかったんでしょうね。ミシュラン三つ星に一回行ってみたいと思い、拙いフランス語で何軒かの料理屋に予約の電話をしたんですが、その日は満席ですと断られ続けました。

結局、予約ができたのが、今は亡きアラン・サンドランスシェフのリュキャ・カールトンでした。電話の応対に出られた方に、「夜は満席ですが、ランチは席が取れるので.ランチではいかがですか?」と言われてランチの予約が取れました。若さというのは怖いもの知らずの代名詞ですね。ホントに。