業平とアポリネール
『月やあらぬ 春は昔の春ならぬ
わが身ひとつはもとの身にして』
古今集 巻15 恋歌5・747 在原業平朝臣
伊勢物語 第4段
『日が去り、月がゆき過ぎた時も
昔の恋も 二度とまた帰って来ない
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る』
ミラボー橋
ギョーム・アポリネール作
堀口大學訳
この二つ、昔から好きな歌と詩です。何だか似ていませんか。
読み手は、両方とも男性です。在原業平さんとギョーム・アポリネールさんですね。
自分は何も変わっていないのに、世界が変わってしまったように見える。愛した女性を失った悲しさ、寂しさを歌っています。
コアとなっている男性の想いの、
『自分は何も変わっていないが、無情に時は過ぎて、自分の周りも変わっていないが、変わったように見える。変わったことは、愛した人がもはやそばにいないことだ。』
同じですよね。少なくとも私は、この二つを詠んだ時、同じ感情が湧きました。
愛した人を失った時は、同じ物を見ても、精神的な内面の世界が変わっているので、同じには見えません。世界の中で、ポツンと自分がたった一人で取り残されているように感じる。寂寥感。喪失感でしょうか。
また、両方とも映像が見えますよね。寂寥感や喪失感が形になって想像ができるのは、やはり凄い歌であるなぁと感じています。
出典 https://4travel.jp/os_shisetsu/10423231
人間の感覚からすると、業平さんとアポリネールさんが特別なのではなく、彼らが特別なのは、想いを歌や詩に詠む能力だと思います。ある意味、過去の恋を引き摺っているとも言えますが、多かれ少なかれ、こういった感情は多くの人にあると思います。なので共感を呼ぶわけですね。
注意 在原業平さんの歌は、解釈が分かれてもいますので、あくまでも私の個人的な解釈です。