師走や暮れが嫌いになった話
世の中、生きていると、色々と嫌なこともあるわけで、私の場合、とりわけ嫌なのは、『いついつまでに、何々しなくてはならない』と行動を強制されることなんです。子供の頃から、何々しろ、とか言われて育ってきたので、しまいには、自分で自分を強制するようになってしまう。
長じて仕事をするようになると、仕事にはいわゆるDue Dateというのが付きもので、毎日のように、『今日までにこの報告書を出さなくては。』なんてことが続くようになる。プライベートの生活では、でき得る限り、こういった強制から解放されたい。でも中々難しいのが現実で、飯も作れば、片付けものもする。宅配便の受け取りもあれば、トイレ掃除もする。先延ばしをすればするほど、強制力が増すわけで、生活者としては詰んできます。詰みたくはないので、ルーチン化してら一種の仕事のようにしつつ、そこはマイペースでこなしていくわけです。
この『なになにしなくちゃ』が多いのが、師走。12月。今月のように感じます。
掃除一つとってみても、大掃除として色々なところをバタバタする。曰く「今日中に窓のサッシを全部拭いてキレイにしなくてはならない。」なぞと言う。
出典 https://www.kango-roo.com/ki/image_987/
もっと嫌なことが、正月の準備。餅を買い、蕎麦を買い、かまぼこを買い、お節料理を作る。何故にふだんの食生活ではいけないのか。年賀状書き。まあ、最近はメールで楽になりましたが、年賀状関係がある。
またよせばよいのに、今年中に何々をしようとか考えてしまう。ふだんやらないことを企てる。要するに自分のペースでできないことが、いつの間にか積み上がるわけです。ルーチンの変更が余儀なくされてマイペースが崩されてしまうんですね。こうなるともういけません。精神のバランスを崩して、師走から正月という時分がだんだん嫌いになってきます。しまいには、12月がくると、いゃ〜な気分に。
嫌なことからは逃げるに限ります。数年前から、暮れから正月にかけては、旅行に出かけるようにしていて、最低限の掃除や片付けをして、出かけてしまいます。こうすると、少なくともお節料理の関係からは解放されます。そうすると、精神的にもだいぶ楽になります。
年をとってくると、精神的な耐性も下がってくるので、できるかぎり、自分を楽にしてあげることも大事です。時には無理を重ねるのも必要ですが、逃げてひと様に迷惑がかからないことからは、たまには逃げて、そうたまには自分自身を楽にしてあげるようにしています。